【Super Butter Dog-5】まわれダイアル(2) [音楽]
(【Super Butter Dog-5】まわれダイアル(1)より続く)
オベリスクの前には人工の湖が広がり、そこにピラミッドが浮かんでいる。パリがローマならここはアレクサンドリアである。言ってみれば、移民の街=「外 部」なのだ。
映画『友だちの恋人』の中ではそのニュータウンには白人の若い“正社員”が住んでいたが、90年代も半ばになって行ってみると、住人はアラブ 系、アフリカ系、すなわち“移民”が主であった。数年前にこのようなニュータウンを舞台に暴動が起こっていることがニュースで日本にも伝わってきていた が、90年代の半ばですでにその機運があったように思う。翻って日本の事を考えてみると、ニュータウンはやはり「外部」であり「移民」の街である。肌の色が同じなのでフランスのような露骨さは薄まっているが、 基本的な思想、機能は同じだ。近代のシステムが要請する労働力を住まわせるための空間である。ぼくも住んだことがある。それも3カ所、点々とした。そこで 思ったのは「自分は移民二世」だということだ。どう考えてもパリ市内に住むローマ市民ではなかったのである。
一方でそこは、インターナショナルな均質性を感じさせる空間でもある。世界中どこでも、「都市」の周囲にはこのようなニュータウンだったり団地だったり が広がっている。環境の善し悪しはある。このパリ郊外のニュータウンは、僕の住んだ事のあるそれからすると、たぶんスペース的には随分広い。それでも位置 づけは同じ、移民の街だ。
で、何が言いたいのかというと、この曲を含むアルバム『333号室』の持つ質感が、このインターナショナルな空間であるニュータウン的なものにしっくりくるのである。移民二世、三世のための音楽。
ロケ地もそう考えて選んだ。湾岸の倉庫地帯であったり、まだ人影もまばらだったお台場あたりだったり。当時は都市博がポシャったあとで、あの近辺は本当 に人がいなかった。辺りの高層マンションは、すぐ「時計仕掛けのオレンジ」の舞台のニュータウンのようになってもおかしくないオーラを発していたものだ。
そのような舞台で、リアリティに関しての簡単なプロットが展開する。これは良いビデオができるハズだと思って作り出し、できたものも自分では気に入っているのだが、当初の評判は「暗い」だった。
これはアルバム全体に言われたことで、『333号室』の音が完成した時、ぼくは「やっと実力を反映したアルバムができた」と胸を張って会議に出かけたの
だが、主だった反応というのが「暗い」だった。音楽に何を期待しているのか?というのは人それぞれだが、やはり作品の「深度」というものがある。このアル
バムは長く聴くに耐える「深度」を持っていると思うが、セールス、宣伝の場面では反応が異なってくる。それを受け、「ビデオでなんとかしてやろう」という
不遜な態度で作ったところ、「さらに暗い」という評価でしばし立ち往生…という状況になった。
幸い発売後しばらくして、EMIのヨーロッパのコンベンションでビデオをかけたところ大好評だったとかで、突然、巨大な追い風が吹いた。「英語で歌う気 はないか?」などなど、色々なことがあり、出口が見えて来た感があったのだが、バンドのバイオリズムと上手く噛み合うか?という大きな問題があり… と、現実はなかなかうまくいかないものだ。
余談が長くなってしまったが、良いビデオだと思っています。どうでしょう?
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text by Y
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