『MILK』と『W.』(2) [映画・映像]
話を戻すと、ガス・ヴァン・サントに関しては、今後もまだまだ上記3作のようなタイプのものを作り続けるものと思っていて、それを期待していた部分はあった。
が、今回の「MILK」が「ハーヴェイ・ミルク」の話しであることが分かり、ショーン・ペンがテープレコーダーに向かって話し出したところで、これは全然違うタイプの作品であり、そうでなければならない映画だと思った。
ガス・ヴァン・サントがゲイであることを考えると、これは彼にとって特別な映画であることが想像できる。またショーン・ペンにとっても、大統領選挙の年にハーヴェイ・ミルクを演ずるということは特別な意味を持ったであろうし、サンフランシスコという街にとっても特別な記録となり得る映画である。スタッフ、関係者が衒いなく、ある種のミッションとして作った映画。こういう映画は強い。観る側が一旦そう思ってしまうと、史実であるラストまで一気に持って行かれるのである。
映画は構成、映像など多くを84年のドキュメンタリー映画に負いながらも、ドキュメンタリーでは映像化されなかったパーソナルな部分を一歩踏み込んで映像化し、ハーヴェイ・ミルクをさらに立体的にアイコン化している。関係者の関与がパーソナルな部分の映像化のリアリティーの担保となっているし、なんといってもショーン・ペンは素晴らしい。役者の違い、扱っている人物との距離もあるが、この手の伝記映画にありがちな違和感はなかった。
2008年完成、2009年アカデミー賞。IT社長や金融業者が、まるでロックスターのようにもてはやされた奇妙な時代が終わり、小学生が喧嘩で使いそうな幼稚なレトリックを振り回す政治家が幅をきかせていた時代が終わり(日本では、まだまだ続いている。今後もっと過酷かもしれない)、「ホープ」と「チェンジ」を訴えた黒人の大統領が誕生した時代である。ハーヴェイ・ミルクの演説はマイノリティの声を代弁するところから始まり、コンスティテューションに立ち戻って論拠するところが、正にオバマとそっくりだ。これは当たり前の論法なのだろうが、日本でこのロジックを展開すると「あれは押しつけ憲法だ」などと言い出す輩がいる。政治の言葉がよって立つべき「原理」を否定し、代替を政治家のキャラクターに求め出すと、行き着く先はファシズムである。
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